Online ロシア現地人でも簡単には立ち入れない”LOMO博物館(カメラ)”のオンラインツアーレポート
プロフィール
名前:やまはた
職業:JATMスタッフ
プロフィール:ロシアと写真が好きです。
サンクトペテルブルグで生まれたロモカメラの原点へ、オンライントリップ!
Lomography Japan様とサンクトペテルブルク市観光局東京支店である当社との共同主催で11月21日にオンラインツアーを開催いたしました!
ロモカメラを生んだロシアを代表する光学機器メーカーであるLOMO社は、軍事、経済、文化的に重要な影響を及ぼし、現在でも研究用・軍事用の光学機器を開発・製造する世界有数の先端技術を持つメーカーです。
現在のLomography(ロモグラフィー)が誕生するきっかけとなった”LOMO LC-A”はいかにして生まれたのか…ロシアの社会的背景も振り返り、今へと繋がるLOMO博物館のオンラインツアーとなりました。
プロローグ
<参加者>
サンクトペテルブルグ現地はLOMO博物館館長のザルマノフさん(LOMO勤続48年!写真上)、広報のポリーナさん、サンクトペテルブルグの写真家イワンさん。そして通訳のアレクサンドルさんが、LOMO工場内に併設されている博物館に集まりました。
日本側はLOMOGRAPHY+JAPAN代表の石田さんとサンクトペテルブルグ市公式観光局東京支店の私、山端がLOMOGRAPHY+店舗内から中継を行いました。
オンラインでは、スタッフと視聴者合わせて約30名、日露のLOMOファンが集い繋がりました!
まず初めに、それぞれの自己紹介を行いました。続いて日本側から、事前にイワンさんがLOMOのカメラで撮ったアーティスティックな写真を用いて、美術館や、教会、美しい運河など、歴史的なサンクトペテルブルグの街並みを紹介しました。
LOMO博物館から中継
中継を現地のロモ博物館に切り替え、100年以上前からのロシアの光学機器の歴史を、語ってもらいました。
もちろん当時の光学機器は、政治や軍事と密接に結びついていました。ソ連時代になるとLOMOは写真機だけでなく、映写機の生産も開始し、国家のプロパガンダ映画にも寄与しました。相次いだ戦禍において、LOMOの工場は順調に光学機器の生産を続けられた分けではありませんでした。工場の従業員は戦線に送られ、材料も乏しい中で、LOMOは光学機器ではなく、メガネなどの日用品を生産していた時期もありました。第二次世界大戦後、徐々に生産は安定して行き、大衆向けのカメラも大量生産されるようになりました。
そうして世界中の人々を繋げるきっかけとなった”LOMO LC-A”というカメラは1984年に誕生します!ソ連諸国の庶民に浸透し、お祝いの度にこのカメラのシャッターが時と思い出を刻んでゆきました。世界的にもムーブメントを起こしたものの、ソ連崩壊という歴史に翻弄され”LOMO LC-A”は生産中止に追い込まれます。
”LOMO LC-A”を手にしたオーストリアのマティアス氏は、このカメラに魅了され、ロシアまで赴き再生産に尽しました。LOMOの国際的な愛好家のコミュニティーを作り、国際イベントもたくさん開催しました。その成果が実り、Lomographyとして起業し、”LOMO LC-A+”という後継カメラが生まれ、現在も中国で生産されています。原点であるロシア、サンクトペテルブルグのLOMO社から、Lomographyへとバトンは渡されましたが、今でもLOMOのカメラは世界中の愛好家を魅了し続けています。